50歳からの人生立て直し

前頭側頭型認知症の夫と二分脊椎症の娘の事

川の流れに身をまかせ

夫が若年性認知症の、前頭側頭葉型変性症と診断されたのは
47歳の秋だった。


勤続30年、役職もあってずっと仕事ばかり。
仕事に責任を持って取り組んでいたと思う。


我が家は仕事はお父さん、家庭はお母さんが守ると言うスタンスだから、仕事については殆ど私が口を挟むことはなかった。


だからと言うわけではないけれど、


主人が35歳あたりで猛烈に仕事ばかりしていた時期があって
土曜日も日曜日も、パソコンを持って上司の家に行き 2人でシステムみたいなものを
構築しているようだった。
休息もしないまま、また仕事を朝早くから遅くまでこなして、と言う日々が何年か続き
徐々に目が血走っていった。あの時の主人のストレスはマックスだった。


何度も休むように言っても体育会系なので弱音も吐かない。
目は血走っていて鬼の形相だった。病気の原因はそれでないかと今更ながら思う。


何年かして本人が配置願いを出し、本社から古巣の仕事場に変わった。またいずれ戻されると言いながら、7年ほど働いていた。


7年のうち5年は変化に気づくことはなかった。モーレツに本社で働いているより休みをちゃんととってぼちぼち元気で働いてくれたら御の字だわ。なんて私は呑気に構えていた。



現在診断を受けて6年経ち
前回誤嚥性肺炎で入院して、担当医にこれからどんどん機能が低下していくと告げられた。実際この入院で、寝たきりに。そしてパーキンソン病も併発しているから、舌がコントロールできなくて口から出てきてしまうし、水分も摂り辛くなってきたようだし、普通の車椅子では倒れてしまうのでリクライニングの車椅子だし。
9月最初に施設から食事は刻み食と軟食半々にしますね。と言っていたのが9月終わりには誤嚥性肺炎が危険なのでペースト食になってしまった。


進行が早いと認めなくてはならない。



いろんな事が辛すぎて思い出したくないし思い出にしたくないとずっと逃げてきた。


私は精神力耐性が全くないヘタレなので、診断された当初は、これから夫はどうなってしまうの?どうやって生きていくの?夫がいない人生はどうなるの?
頭の中でそれらが渦巻いてどんどん不安になり眠れなくなって、寝れないから病気のことをネットで探して完全に負のループにはまってしまった。


でも少ない情報の中に同じ年齢で同じような状況の方のブログにたどり着き、アドバイスをいただきました。その時の安堵感たるや。



なかなかブログの更新ができないけれど、何とか私も生きていて、夫も色んな方にお世話になりながら頑張ってくれていることに感謝している。


診断された時は川の流れに逆らうごとく世の中理不尽だ!と雄叫びをあげていたけど今、
川の流れに身をまかせている自分がいる。

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